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第4回布沢棚田の芸術祭が開催されました

2024年10月26日(土)、27日(日)に、布沢棚田の芸術祭が開催されました。8月に完成した"みんなの広場"がメイン会場です。音楽を中心としたプログラムは多くの皆さんから「よかったよ!」と大変好評でした。ありがとうございました。

2024布沢棚田の芸術祭 案山子と天女で山の神が舞い降りる

秋晴れの下、「布沢棚田の芸術祭」が10月26日(土)・27日(日)に開催され、二本松市内、福島市、郡山市、福島大学生、そして東京からの参加者も含め250人余の老若男女が集いました。 前夜祭はソーラーライトが棚田をライトアップし、炎のなかでの幻想的な情景が浮かびました。

前夜祭

10月26日(土) 17:00~18:30  天女の舞いと音楽の夕べ

優雅なククイリーフ フラスクールのみなさん           百姓シンガー 塚田晴さんのさわやかな歌声

山の神を呼ぶ (芸術ダンサー 蒼浩人さん)  と 二胡とハーモニカ演奏(ヤンヤン&エイコ)

福島県二本松市の布沢棚田の芸術祭、その前夜祭の様子です。

❶飯野のフラチーム

フラゆえのとてもゆったりした明るい気分になれました!お仲間からの花束贈呈のコメント「まさか55歳から2?年経つとは」に耳を疑いました。

❷塩原でソーラーシェアリング農場長の塚田ハルさん、オリジナル曲ハタチの歌、21歳の歌、どちらも笑いから入ってしっかり未来への決意に落ちる歌詞と優しさと強さの共存する歌声で、くるりの「奇跡」のカバーはここがどこなのかよくわかってらっしゃる。個人的に胸熱でした。

❸芸術ダンサーそうさんによる前衛舞踊。布沢天女伝説をベースにした「ぬーにょの舞」は、素直さの部分をを開いてくれるような、場の空気を掴む、厚みのある存在感で、すっかりそうさんの空気になっていました。キャンプファイヤーとの相性バッチリです!

❹旧隣町の岩代を拠点に活動する音楽家ヤンヤン& さんの二胡とハーモニカ演奏、弦楽器は野外によく馴染む不思議な楽器で、ハーモニカとのコンビネーションは、西部劇風のカントリー調な空気からモンゴルの草原などそれぞれの世界を一気に作り上げます。

小さく手作りな祭ですが、年々地固めと規模拡大、改新を重ね、まさか数年前までここまで人を呼んで楽しむ祭りができるようになるなんて、と振り返る方も、関係者さんには多いのではないでしょうか。

なにしろ311後、阿武隈山地が東からの放射能を受け止め、山の西側に比較的帰宅困難区域が少なかったこともあり、復興が早かった、とは言っても、ここに住むそれぞれのおうちの人々が、農地や草地、田んぼや家屋など、地道な除染作業を積み重ねてここまでこられています。二本松、とくに東和地域に住む昔ながらの人々は、シャイな気質で積極的な社交スタイルからは遠いものの、あたたかで協力的な心を持つ人ばかりです。そういった風土を持っていなければ、この祭の今はなかったのではないでしょうか。時々しか帰らない私ですが、チラシやポスター、キャラクターデザインなど、裏方の仕事で少しでもお手伝いに関わることができて、ここらから嬉しく誇らしい気持ちです。

明日は本番です。

棚田ウォーク

10月27日(日) 10:00~11:45 棚田ウォーク大会(55人の参加)

布沢ビオトープ ~ 義民布沢源蔵の碑 ~ 橋本子守地蔵尊 ~ 忠魂碑

❶ビオトープ

生き物のエキスパートである宗像先生が、事前にタニシやガムシを捕まえていてくれました。タニシの壺焼きや、味噌汁の具にして食べていた時代の話から、ビオトープ創設由来のお話に。9年前、震災後の田んぼに何をしたらいいか、をみんなで考えたときに、ここに勇気のビオトープを作ったらどうか?との案を実行することになり、そこから地道にビオトープを育て、今では県内随一の生物多様性に育ったとのことです。あっという間の10分。名残惜しく次の布沢源蔵の碑へ向かいます。

❷義民布沢源蔵の碑

民俗史専門の高橋さんからのお話がありました。今は菅野さんが住む、布沢源蔵の家。源蔵は江戸時代天明の大飢饉の際の、この地域の農民のリーダーでした。農民はただでさえ貧しく、年貢=租税の徴収に苦しみ、自分達の食べるものがない時代。そこに天明の大飢饉が襲います。岩木山と浅間山が1年の間にそれぞれ噴火を起こし、火山灰による冷夏の影響で稲が実らず、年貢を納めたら死ぬしかない、という危機。源蔵は一念発起して二本松藩の藩主へ直訴。年貢の取り立てを緩和してほしい、と。殿様は了承したものの、側近たちの「布沢を了承したら山木屋や他の地区に示しがつかない」として、訴えを却下。源蔵は直訴の責を負って切腹。その死を悼んで未来へ残す碑を建てたという話でした。苦しみに苦しみを重ねた時代の先人たちが、なんとか命を繋いでくれた上に、今の私たちが生きていることを感謝してもしきれない思いに駆られます。

❸橋本子守地蔵尊

こちらも同様に天明の飢饉の影響で、あまりに幼子の命がつながらない現状を憂いて、村人たちが子どもの未来を祈った6地蔵です。今も家の仏壇には、木で掘られた小さな子どもの身代を据え拝んでいました。また、この場所は、地域で集まって花見をする祝いの場であり、農作業に勤しむ祖父母の視界に孫が収まりつつ安心して遊べる憩いの場でした。今もこの地域で赤ちゃんが生まれると、このお地蔵さんに手作りの前掛け(今でいうスタイ)と頭巾を縫って身につけて差し上げます。今はそこに観音様も仲間入りし、布沢地区を見守っています。

❹忠魂碑

大田村から出た戦没者を供養する石碑です。勝海舟の手による書で「忠魂碑」と彫られています。日清、日露、大東亜の戦時には、この村からも若い男が戦争へと駆り出されました。戦に出るは花、行かぬは恥、そう信じる母たち。そう思わなければやり場もない悲しみが、きっとあったことでしょう。今もこの忠魂碑の前で、戦争で亡くなった我が子や戦友を悼む人、その子孫にあたる人も、まだいらっしゃるとのことです。戦争の爪痕はこのようなのどかで静かな田舎にもしっかりと傷跡を残しています。

 

〜語り部紺野さんによる昔話〜

ここでお国訛りと説話の保存活動をされている語り部、紺野さんが四阿で迎えてくれ、3つほど昔話を語って聞かせてくれました。貧しさのあまり旅人を疑って殺めてしまう話。自分の兄弟が生まれたばかりの上の子が、産後の母親のお粥を食べすぎてお腹が張り裂けてしまう話。義父の髭剃りの間に乳房がこぼれてしまう嫁の話など、どれも悲しみや可笑しみ、恥じらい話等を孕みながらも、紺野さん曰く、昔話にはその当時の人が大事にしていた価値観が隠されている、とのことでした。その昔話に流れる空気感や価値観には、この地域自体の民俗的なキャラクターが連綿と連綿と流れている事を確信するものでした。

芸術祭

今年の案山子コンクールには東和小学校5年生6組、東和公民館キッズスクール6組など27組の参加がありました。

長谷川ファミリー ほのぼのコンサート 「赤とんぼ」 「千の風になって」・・・

餅つきと豚汁を食べて収穫を祝いました。笑顔がいっぱい楽しい一日でした。